介護士の私が高齢者の尊厳とおむつについて考える。
昨日久しぶりにこんな本を読みました。
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結構この本気に入っているのが、介護のやり方だけではなく。
作者からみる介護の視点。お年寄りの身体のメカニズム。”介護のやりかた”ではなく”介護のありかた”を書いた文面がとても魅力的です。
この中で、高齢者がつけるオムツに書かれた文がありました。
高齢者って、私の勝手な考えですが赤ちゃんに戻っていくような感じがします。
だんだんと尿の排せつが出来なくなっておむつをつけたり、足腰が弱って立てなくなって何かにつかまって歩いたり、押し車を押したり。食べ物が重湯になったり。
だけど、赤ちゃんとまた違うところは、赤ちゃんはこれから出来る!っていう未来があって。
おじいちゃん、おばあちゃんは今まで出来た!って過去があるところ。
私たち若い世代以上に沢山乗り越えてきた経験や達成した過去があるからこそ。プライドや尊厳があるのです。
そして、話は戻りますが。
介護の世界になるとおむつっていうのがわりと常識になってきます。
仕事柄、沢山の人に履いてもらったり、履かせたりしているので。
するとどうでしょう!なんとギャップが生まれます!°˖☆◝(⁰▿⁰)◜☆˖°
そりゃそうです。今まで仕事をバリバリとこなしてきた男性や子供たちを立派に育て上げてきた女性がある日おしっこを漏らしただけで「おむつ履こうよ!」って言われたらショックです。
俺を赤子にさせる気か!?
でもね、介護ってだんだんとおむつって当たり前になってくるので「そんな便利なものを…」って、高齢者の尊厳<便利なアイテム に頭で気づかないうちに頼るようになってしまうんですね。
ある、女性の方で入浴後着替えの服の中に必ずパンツを持ってきていた方が居ました。それは自然なことですね。だけどその方、膀胱の筋肉の締りが弱く少しづつ尿が出てしまうのです。
毎回「おむつ持ってきてねー」と言っても持ってくるのは。パンツ
「もー!!」って思っていました。(結局家族に報告して持たせてもらうことに)
だけど、それは介護者の目線であって、そのお婆ちゃんはなんで漏らしちゃうのに、おむつ履かないのよ!って思う前にもっと出来ることは沢山あるんですよね。
時間に分けてトイレの誘導をして、おしっこが出ても出なくてもだんだんとトイレに行く、という感覚を掴んでもらう。
座りっぱなしで、下半身の筋肉を衰えをただ待つのではなく、自然と歩きたくなる。席から立って行動したくなる仕組みを作る。
介護者がおむつを勧めるのはただの一つの結果であって、その道中には沢山の選択肢があったはずです。
本書の中にこんな文面がありました。
『お年寄りのおしっこ、うんちはキレが悪い。だが、あまり食べてないし、沢山飲んでもいない。それもそのはず、さほどお腹が空かない程度の何もすることのない生活。のんべんだらりんと尿や便が出ても差し支えない生活。排せつの問題の多くは、誘導の仕方や、環境セッティングもさることながら”何もすることがない生活”を送っていることが大きな問題となっている。』
自然の摂理では、沢山動くからお腹が空いてご飯も食べるし、喉も乾く、だから「あ!出そう!」ってすぐにわかるのだけど、高齢者になるとやることの選択肢が少なくなって、動く必要が減ってしまう。だから自分が今、お腹空いているのかも、喉が渇いているのかも感じにくくなって、トイレもだんだんと出たいのか?出たくないのか?わからなくなってくる。
だけど、その環境を作ってしまっているのは介護士でもあるのです。
メリハリのある生活を送れてこそ、自分の体の具合も敏感にキャッチできるようになってくる、今回は排せつのお話でしたが、排せつ一つでも人の尊厳や習慣を守りながら、1つのゴールを見るのではなく。その人らしいケアが出来るということに改めて気づかせていただいた。そんな本でした(*´▽`*)