お金を使うことがストレスだったのは、自己評価が低いから。
お金を散財する反面、お金を使うのがストレスでした。
私の場合ですと、高価なものを買う時、定価で買う時に一番ストレスが掛かります( ;∀;)
「本当に必要・・・?」
「もっと、安く済むんじゃない?」
「今は要らないよね。」
その言葉の裏にはすべて、
今あるお金を減らしたくない!!!
だからこそ、高価なものは買わない!と思い行動していました。
お蔭で周りからは『節約家』と思われていて、私もまんざらでもなかったです(*´▽`*)
だけど、その反面”我慢”している部分も大いにありました
もともと、自分に対するお金の設定が低かった
タイトルの通り、自分自身がお金に対する設定が低かったです(^-^;
家自体があまりお金を使わない、掛けない家だった影響もあったと思います。
だからこそ、お金を使う=自分が働いた分をこんな値段に掛けていいのか?
と勿体なくなり、それならと自分で作業したり、何店舗も周って安い店を見つけようとして自分の労働で費やしてしまいます。
しかし、それは自分はこのくらいのお金しか稼げない人間だと思い、自分よりもお金を優先させていた結果に過ぎませんでした。
適当な安い物を買うから満足もせず、また安い物を買うことで快楽を得ると同時にお金を失っていく、そしてお金が減っていることに気づき、お金が無いことにストレスが増える。
「私はお金が無いから、だからお金を大切にしなくちゃ」
自分の価値はお金よりも低いから、働いて働いてやっとお金を手に入れることしかできないから
だから、安い物しか買っちゃダメ
そんな風にいつの間にかセルフイメージが出来ていました。
しかし、とあるセミナーに行ったときに主催者さんがこんな話をしていました『お金自体に価値はありません!幻想なのです!』
お金に価値があるんじゃない!お金の使い方に価値があるんだ!
そのセミナーの主催者さんの言葉を聞いたときは「お金に価値がない、なんて罰当たりなことを言うんだこの人は!(◎_◎;)」ととても衝撃を受けました。
しかし話は続きます、お金は刷ればいくらでも増やせることが出来るし、お金そのものに”価値”という信用を持たせている。だから、皆は”お金”に安心して家や自転車や食べ物を交換することが出来るし、”お金”に信用が無くなったら経済は破綻すると。
うーむ。言われてみればそうかも(゜-゜)
ドイツも第一次世界大戦後の莫大な賠償金支払いで銀行が大量に紙幣を刷ったもんだからハイパーインフレになって買い物をするにも大量のお金を一枚一枚数えるのが大変だから重さで買うようになったり
ベネズエラに至っては、紙幣よりトイレットペーパーの方が高すぎてお金をトイレットペーパー代わりに使うほどお金の価値が下がったそうです( ゚Д゚)
そういや、日本でもトイレットペーパー騒動であまりにもトイレットペーパーが買い占められて、2倍の値段を付けたトイレットペーパーもたちまち売れてなくなる時代がありましたね。
こうやって見るだけでも、物の価値とか信用とかってこんなにも意味が変わってくるのかとひしひしと感じます・・・(;・∀・)
だからこそ、大切なのはお金!ではなく、お金を使ってからの未来
お金を使うことでどんな未来が手に入れられるのか?
お金を使う時も、目の前に貼り出された金額を見るのではなく、お金を使ってからの自分を想像してみる。
家族との笑顔の未来が想像できたり、生活が快適になって気分が明るくなるのが想像できるのなら凄く価値のあるチケットですよね(^^♪
逆に、何も想像できないのならやめた方がいいです(-ω-;)
家事に追われてバタバタする子供たちにイライラするのなら、ルンバを買ったっていいしドラム式洗濯機を買ったっていいし。
それで、イライラ解消が買えるのだもの!
金額は確かに高い、なら
イライラする原因、例えば子供がジュースをこぼしてカーペットが汚れたとかに掛けているお金
ジュースなんぞ止めて水にすれば、こぼしても洗う手間は無くなりますね(*‘∀‘)だって水だもん
なんなら、そのまま床を拭いてくれればなお床も綺麗になります!
ジュース一つも100円だけど、1日に3回で300円1カ月で9000円1年すればドラム式洗濯機が買えて、洗濯物を干したり込んだり、雨の日を気にしなくても済んでストレスが減ることとその分の自由な時間が買えます。
そして、自分の得た未来に満足すると自然とお金を使ってよかったなと感謝の気持ちが芽生えてきます(*^-^*)
「私は幸せになる。だから気持ちよくそのツールであるお金を使っている」
そう思えることで目の前にある掲示された金額を二の次に考え、安かろうが高かろうが自分が本当に買えてよかったと思えるお金の使い方が出来ます(^^♪